カフェは珍しくビジネスマンでごった返していた。
「論理なんてやつも、途中から論理じゃないですよ」
という声がして、声の方を見るとやっぱりビジネスマンだ。そんなことを言われたら、誰だってそいつの意見こそを保留するんじゃないだろうか。
しかし、さっき私が受けた電話は理論物理学者からのものだった。“彼女”は地球のどこかしらにあるいつもの大学ライクな場所のコンフェランス室かなんかでディスカッションをしていて、その議論が彼女が言うところの「エキサイティング」でないものになってきちゃったので、退屈して電話をかけてきたに違いないのだ。
理論物理学者が理論的であることについては、私が保証しよう。だがそういう人に向かって話をする人が理論的であるとは限らないのはもちろんである。
ある物理学者は「私は理論的なので、そういう話はわかりません」と言うらしい。
「それもよくわからないんだよね」
と彼女は言うのだった。
「論理も最後のところまで行けば、論理以外のものだよね。それが論理だと思うか思わないかなわけだから」
「もしかして、哲学的な話なんでしょうか?」
とわたしは言った。
「哲学的な話のわけがないでしょう」
と彼女は言った。
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